MENU
カテゴリー

アフィリエイト開始4ヶ月で月10万円を超えたときの話

もう10年以上も前の話ですが、僕は0からアフィリエイトを始めて4ヶ月で月10万を超えました。

当時その経験を無料レポートとしてまとめたのですが、いまアフィリエイトやブログをやっている方で、いまいち結果がついてこないと悩んでいる方の参考になるのではないかと思い、10年越しに再公開することにしました。

いまとは時代が違うのでアフィリエイトのやり方は参考になりませんが、作業中の気持や考え方は共通する部分が多くあるはずです。

ちなみに2022年現在、アフィリエイトやブログはオワコンなんていわれますが、僕がアフィリエイトを始めたときもアフィリエイトはもう稼げないといわれていました。

当時もずっと続けているのに稼げていないない人もいれば、短期間で稼げるようになる人もいました。

こういう状況はいまも昔も変わらないようです。

前置きが長くなりましたが、当時の物語にお付き合いください。

なお、このレポートはストーリー仕立てとなっているため、目次にリンクはつけていません。

目次

  • プロローグ
  • アフィリエイト0ヶ月目
    • アフィリエイトとの出会い
    • ねずみ講にはまった友達もいってた
    • アフィリエイトを始めるのは来月からだ
  • アフィリエイト1ヶ月目
    • やってはいけないことのオンパレード
    • 奇跡のような初報酬
    • 消えることのないモヤモヤ
  • アフィリエイト2ヶ月目
    • 誰にも聞けない孤独さ
    • 残された解決策
  • アフィリエイト3ヶ月目
    • 飽きる。だがそれも悪くない
    • あの夏の思い出
    • 順調さが生んだ悲劇
  • アフィリエイト4ヶ月目
    • 月10万円を超えたときの想い
    • 笑顔の悪魔はそこにいた
  • エピローグ
  • あとがき

プロローグ

僕は世の中に対して疑問を感じて生きています。

『夢を語ることをバカにするような社会』
『出る杭を打つように頑張っている人を叩く社会』
『やりたいことをやるための努力もせず、不満だけを吐きだす人達』
『生きる為には働くしかないと死んだように生きる人々』
『なんだかんだサラリーマンは安定しているよと語る友人』

ゆでガエルの話は有名なので知っている方も多いかもしれませんが、まさに日本全体がそんな状況になっているのではないかと感じるのです。

徐々に熱湯に変わろうとしている状況に気づかず、のほほんと笑って過ごし、気づいたときには時すでに遅し。

そんな状況になるのではないかと不安になるのです。

ならないのかもしれません。ならないに越したことはありません。でもなったときはすでに死んでいます。後から何をしようが後の祭りです。

僕にはやりたいことが沢山あるのですが、時間は限られているので、できずに終わるかもしれません。

だけど、せめてやりたいことをやれるような行動は起こしていきたいのです。

アフィリエイトは決してやりたい仕事ではありませんが、やりたいことを実現させるための手段としては有効なものなのです。

そんなアフィリエイトで、月に10万円を超えるまでの4ヶ月、どんな生活をしていたのかまとめました。なにか参考になるところがあれば幸いです。

アフィリエイト開始【0ヶ月目】

アフィリエイトとの出会い

2010年10月。
頼まれるままに始めた映像制作の納期が迫っていたため、
毎日朝から晩まで映像制作をしていた。

映像制作などやったことがないのに、なぜやっているのだろう? 
ふとそんな疑問が頭をよぎる。

「はぁ……わからない」

思うように進まない作業から逃げるように、僕はネットをしはじめた。

10分見るつもりが30分、1時間と何の意味もない時間を過ごす。
そしてたどり着いた先はホリエモンのブログだった。

堀江貴文。いっときは時代の寵児として、日本の注目を一心に集めていた男。

風貌はオタク系ながらも、時代を読み切る観察眼を持ち、
あっという間に時価総額6000億の会社を作ってしまった。

いまでは塀の中へと追いやられてしまったが、そんな状況にも関わらず、
メルマガ、ブログからの収益は月に1000万円ほどあるという。

ブログの最新記事は、ツイッターとバーチャルオフィスについて書かれていた。
とくに気になる内容ではなかったが、最後に書かれた文が僕を釘付けにした。

《そのまま真似すれば素人でも稼げるのではないかと思う》

この言葉は僕の心を激しく揺さぶった。

(そんなうまい話があるのか?)
(でも有名人なのに大多数が見ているブログで嘘を書くだろうか?)
(お金を稼ぐことに関して、ホリエモンは天才的だ)
(その人がいうなら間違いないのでは?)

そのままやれば稼げる。
この言葉がグルグルと頭の中で回っていた。

文章の先にはあるサイトへと繋がるリンクが貼られており、
リンク先は縦長のきな臭いサイトへとつながっていた。

「どうせ変なもの売られるのだろうな」

そう思いつつ、ページをスクロールしていく。

案の定、商品の購入ボタンが設置されていた。
高ぶっている気持ちに気づきつつも、すぐに購入することはできずにいた。

数時間は迷いに迷っていただろうか……。
欲しいという欲求と、騙されたくないという気持ちがぶつかっていたのだ。

くまなく文章を読み迷ったあげく、その商品を購入することにした。
そのままやれば稼げる。

その正体はアフィリエイトだった。
僕とアフィリエイトはこうして出会ったのだ。

ねずみ講にはまった友達もいってた

アフィリエイト。
数年前テレビで紹介されたことで、爆発的に広まったのではないだろうか?
存在は知っていたものの、仕組みを理解しようと思ったことはなかった。

アフィリエイトは米Amazonが発祥だといわれている。

1996年に開始されたサービスはアマゾンアソシエイトと呼ばれ、
1999年に入ると日本でもValueCommerce(バリューコマース)が初めて
アフィリエイトプログラムを開始したようだ。

日本でアフィリエイトが開始されてから約12年。人間なら小学6年生ほど。
そう考えると、まだまだ成長するだろうと予想できる。

この時期アフィリエイトを始めたことは運が良かったのかもしれない。
ただ、当時の僕がアフィリエイトにもっていたイメージは最悪だった。

(稼げても数十円、数百円だろう。やるだけ無駄)
(やっている人はなにが楽しくてやっているのだ?)

しかし購入したアフィリエイト商材に目を通し、
理解を深めるに連れある思いが広がっていた。

「これは稼げそうな気がする……」

アフィリエイトは広告代理店のようなものだった。
商品を選んで紹介する。

単純すぎるほど単純だった。
これを繰り返すだけで報酬が発生する。
美味しい話だ。

僕のやる気は燃え上がっていた。

友達にアフィリエイトをやると宣言し、
彼女にもアフィリエイトで生活をすると宣言した。

だが熱が入るほどまわりの目は冷ややかになる。

「アフィリエイトなんて今更稼げないでしょ」
「また、ろくでもないこと始めて……」

友達からはこんな言葉が返ってきた。

「ねずみ講にはまった友達も同じようなこといってた」

彼女からはそういわれた。
友達の言葉より3倍ほど多くダメージを受けた。
やる気は鎮火した。

彼女は4歳年下の23歳。岐阜出身で顔はゾウリムシ似だ。
コーラを飲んで「からい」という不思議な味覚をもち、
納豆1パックで米一合を食べる痩せの大食い。少し変なのだ。

そして悪気なくポロッと言葉の爆弾を落とすことがよくある。
そのたび槍で心臓を一突きされたような衝撃を受けるのだ。
悪気がないぶんタチが悪い。

そんな彼女と一緒に暮らし始めてもうすぐ2年になる。
身近な相手に理解されないのは辛い。

しかし数日前は僕も同じような考えだったのだから、
理解されなくて当たり前だと納得したことを覚えている。

「結果をだすしかない」

やる気を奮い立たせ、僕の孤独な戦いは開始されたのだ。

アフィリエイトを始めるのは来月からだ

商材を読んだだけで半分稼いだ気になっていた。
パラパラと読んだだけなのにおめでたい話だ。
当時の僕に会えたのなら迷わずビンタをするだろう。

僕が手にした商材には、サイトをたくさん作って稼ぐ方法が書かれていた。
この手法を嫌う人は意外に多い。

(サイトをたくさん作るのがめんどう)
(検索エンジンが賢くなってきているから通用しない)
(モラル的に問題がある)

悪いイメージを持っている人が多いのだ。

しかし、僕はそんなことを知る由もない。
アフィリエイトは、こういうものという認識でしかなかったのだ。

サイトをたくさん作るというのを見て、僕はやれるという確信があった。
サイト作りには自信があったからだ。

「よし、やるぞ」

そう意気込んでサイト作りはじめた。
自信があっただけに、1つのサイトはすぐに完成した……。
とはいかず2日かかってしまっていた。

「なんでこんなに時間がかかるんだ?」

理由は簡単だった。サイトを作ったのが数年ぶりなのだ。

昔サッカーをやっていたからといって、
何年も練習をせずにいきなり試合にでても、
思うようにプレーすることはできないのと同じだった。

サーバーにアップする方法は忘れていたし、HTML、CSSも完全に「?」

そもそも昔ホームページを作った時は、
ホームページビルダーで適当に作っただけ……。

HTMLなど元から理解していなかったし、CSSは見たことがなかった。

それで自信をもっていたのが信じられない。
次の日も思うように進まない作業……。

数日たっても、あまり変わらなかった。
アフィリエイト作業に取り掛かることもできないでいた。

このままわからないまま続けるよりは、
1ヶ月をかけてHTML・CSSを勉強したほうがいいのではないか?

そう考え、アマゾンでサイト作りの本を購入し
一からメモ帳にタグを打ちサイトを作り始めた。

そしてなんとか1ヶ月でサイトを作ることができるようになった。

1ヶ月間アフィリエイト作業はできなかったが、
このときひと通りサイト作成スキルを付けたことは
今振り返ると結果的に良かったと感じている。

ただスキルを身につけるさいに閃いたサイトを早く作る方法があったのだが、
これが後に大問題を引き起こす。

【0ヶ月目まとめ】

  • HTMLとCSSを少しだけ理解する
  • サイトが作れるようになる

アフィリエイト開始【1ヶ月目】

やってはいけないことのオンパレード

僕はサイトを作れるようになったことで調子にのっていた。

あらためて商材に目を通し、
ここは初心者に向けて書かれているからやらなくていいな。
この部分は少しひねったほうが差別化になる。

当時の僕に声をかけられるなら止めてあげたい。

しかし、止めてくれる人はなく、そのまま進みだしていた。
結果、間違ったことばかりしてしまった。

作成したサイト同士をリンクすればいいのだと、
量産したサイトを全てリンクで繋げる。

デザインが良くないと売れないと思い込み、
オリジナルのレイアウトにしてみる。

他にも意味がないどころかマイナスになることばかりしていた。

そして、閃いた早くサイトを作る方法というのが最悪の失敗。その方法とは販売サイトの文章をコピーしてサイトを作ることだった。

ここで失敗に気づければよかったのだが気づくのはまだ先のこと……。

この時期1サイト30分ほどで作っていたため
サイトの数はハイペースで増えていった。

しかし、いくら作っても報酬は0。
精神的にも体力的にも1番きつかったのもこの頃だ。

1日に何度も報酬画面を見たところで0という表示は変わらない。
サイトを作る。報酬画面を見る。「0円・・」この繰り返しだった。

アフィリエイトはすぐには稼げないと覚悟はしていたが、
報酬がないというのはやはり辛かった。

テレビで某ニュース番組が始まり、
「ゼェロォ~」と聞こえてきたときには
画面を叩き壊してやろうかと思ったほどだ。

彼女も冷ややかになる。口にはだして来なかったが、
いつになったら稼げるのと思われているような気がしてならなかった。

重苦しい空気が家中に漂っていた。
報酬がない以外にも、そんな空気を作る原因があった。

アフィリエイトを始めてからというもの僕は部屋からろくにでてこない。
一緒にでかけることもしない。

理解されないことをしているなかで、
さらに火に油をそそぐようなことをしているのは自分でもわかっていた。

別れを告げられても仕方がないと思っていた。
そのときの僕にはアフィリエイトのほうが重要だったのだ。

イライラすることも多くヒゲは生えっぱなし。
常に頭はクラクラしていた気がする。

報酬が0でも手を動かさなきゃ何も変わらない。
それだけは忘れないよう、とにかくサイトを作り続けた。

奇跡のような初報酬

手を動かし続けても、発生しない報酬。
毎日コピーサイトを作っているのだから売れるものも売れない。

そんな毎日を過ごしていたある日、
報酬画面を見るとそこには”420円”と表示されていた。
思わず画面を2度見し、気づくと彼女を呼んでいた。

「見て!これ見て」

鼻息荒く報酬画面を指差す僕。

「わー!すごーい」

素直に喜んでくれる彼女。
すごいといった後、部屋からでていくスピードもすごい彼女。

420円なんてそんなものだ。でも僕は感動していた。

「本当に売れるんだ……」

その日は何度も報酬画面を見る僕がいた。
この日はネットからお金が発生することが初めて実感できた日になった。

数日後また売れた。
今度は4800円の報酬。また彼女を呼んでいた。

「ちょっと来て!見て!これ見て!」
「わー!すごい!ほとんど5000円だ!」

また素直に喜んでくれる彼女。
そしてすごいスピードで部屋からでていく彼女。
彼女の背中を見つめる僕。まだまだ4800円じゃこんなものだ。

しかし報酬を獲得することができたのは、
コピーサイトを作っていたなかでの奇跡のような出来事だった。

消えることのないモヤモヤ

報酬があったものの、僕はモヤモヤしていた。
作業をするほどわからないことが増えていく……。

文章はこれでいいのか。
サイトのレイアウトはこれでいいのか。
扱っている商品はこれでいいのか。
これからもこれを続ければ報酬は上がるのか。

いくら考えても悩みが解決することはなかった。

【1ヶ月目まとめ】

  • 報酬 5220円
  • わからないことに悩む
  • 数々の間違いを犯す

アフィリエイト開始【2ヶ月目】

誰にも聞けない孤独さ

2ヶ月目に入っても相変わらず悩んでいた。
わからないことは自分で調べる以外に選択はない。

先輩アフィリエイターに聞くことはできなかった。
できなかったというより、そんな人が存在しているのを知らなかったのだ。

わからないことは、検索して調べればだいたいわかる。
でも具体的なことになると全くわからない。

実際に売れているサイトなんてわからないし、
売れる文章の書き方なんてわからない。

それらしいサイトはでてきたとしても、
参考にするべきサイトなのか判断がつかなかった。

真似をしようにも、真似するものがない……。
季節は12月。アフィリエイト作業中は常に一人。
泣くには十分すぎる状況だった。

残された解決策

いろいろ考え、新たに商材を購入することにした。

実際に稼いでいるサイトが見られるという商材。
成約率を上げる文章の書き方を学べる商材。
貯金がない僕には大きな賭けだった。

しかしこの決断で光が差しこむことになる。
モヤモヤしていた疑問が少しずつ解決できたのだ。

ここでようやくコピーサイトがダメだと気づいたのだが言葉がでなかった。
作ってきたサイトのほとんどがコピーサイト……。

文章をコピーしてサイトを作る方法を発見したとき、
なんて効率のいい方法を思いついてしまったのだ。
天才か?

そう思っていたのが情けない。

10サイトぐらいだったら良かったものの、
すでに300サイトほど作っていた……。

しかし、やってしまったものは仕方がない。

ただ2ヶ月目で気づけたことは不幸中の幸いだった。
これが半年後だったらと思うとゾッとする。

サイトのレイアウト、文章の書き方を改善できたお陰か、
3ヶ月目に報酬は爆発することになる。

【2ヶ月目まとめ】

  • 報酬 16000円
  • わからない部分が解決
  • 間違いを修正することに成功

アフィリエイト開始【3ヶ月目】

飽きる。だがそれも悪くない

3ヶ月目ともなると作業をする上で悩むことはあまりなくなっていた。
自分が1日にする作業ができていたのだ。

サイトの量産は機械になった気持ちになるといわれるぐらい単純作業が続く。

僕もそんな気持ちになっていた。
1が終わったら2。2が終わったら3……
そこに面白味を見いだすことは難しい。

しかし、決められた作業というのはある意味楽でもある。
淡々といつもと同じことを繰り返す。
今日は何をしようかなと悩むことはないのだ。

どんなアフィリエイトをするにしても、何かしらの苦痛がある。
量産でいうならそれは「飽きる」ということだった。
そんな単純作業をしていて思い出したことがある。

あの夏の思い出

いまから4年前の夏、
僕は東京から沖縄にかけてお金を持たず歩いて旅にでた。

お金を持たなかったわけは、自分の可能性を知りたかったのだ。
俗にいう中二病というやつだろう。

お金は現地で働いて稼げばなんとかなる。
いざとなればその辺のおじさんに声をかければ、ご飯には困らないだろう。

あまり深く考えず、ハットをかぶり、足にはサンダル、
クビにはストールを巻き、いまから原宿に行きます。
そんな格好で旅にでた。

僕の頭は完全に壊れていたのだ。

気が狂っているとしか思えない旅だったが約3ヶ月後、沖縄に辿りつけた。
この経験はお金には変えられない貴重な体験として残っている。

そんな旅の道中、名古屋で派遣のバイトをしていた。

今でこそ住所がないと派遣会社に登録することもできないが、
当時は条件が甘く、住所がなくても派遣に登録することができたのだ。

もしくはごまかして登録していたのかもしれないが、
詳しく覚えていないというのが正直なところだ。

寝泊まりする場所は1泊2000円の廃墟のようなホテル。

ホテルというには、あまりにもホテルに申し訳ない。
いまにも切れそうな蛍光灯が廊下をチカチカと照らしている。
お風呂は地下にあり、全体的に薄暗くいかにもでそうな雰囲気が漂っていた。

朝になると、こちらの都合はお構いなしに
鉢巻きをしたおじさん達が容赦なく部屋の掃除をしだす。
手荒いモーニングコールといったところだ。

そんな場所を拠点に色々な仕事をした。

倉庫内での仕分け作業。引越しの荷物搬入。
事務所移転。どの仕事も体力勝負で死にそうになる。

「くそがきぃ!なにやっとんじゃ!」

こんな言葉を浴びせかけ続けられる職場もあった。

後から知ったことだが、連続2回いくと特別ボーナスがでる
バイト仲間の間ではいわくつきの派遣先だったようだ。

派遣会社からは当たり前のように、
また行きませんかと紹介されたが食い込み気味で断った。

様々な仕事を乗り越え次に紹介されたのは、宅急便でのDM作成作業。
封筒に決まったものを入れていくという単純作業だった。

なんの面白味のない仕事で、
こんな仕事をすれば誰しもが能面のような顔になる。

しかし、そこに笑顔のおじさんがいた。
元商社マンの久保田さん(仮名)という人だった。

なぜそんな人が派遣のバイトなどしているのかわからなかったが、
このご時世リストラでもされたのだろうと深くは考えなかった。

僕はテーブルを挟み、向かい合う形で久保田さんと話をしながら作業をしていた。
今度、娘さんが結婚すること。元会社の後輩がお祝いしてくれること。

そんなたわいもない会話をしていた。

「でも商社マンって大変ですよね」

当時、商社マンがなにかわかっていなかったが、
知ったかぶりをしてそんなことをつぶやいていた。

それに対する久保田さんの一言が僕に衝撃を与えることになる。

「魂込めればなんでも楽勝!」

久保田さんは、そういって「ガハハ」と笑っていた。

意味はわからなかった。ただなぜだか心に響いたのだ。

たしかに「魂」を込めればなんでも楽勝だ! 
その後、僕の封筒作成スピードが2倍になったことは言うまでもない。

やりとりは一瞬だったが、
4年経った今でも忘れられない言葉として残っている。

「魂込めれば何でも楽勝……魂込めれば何でも楽勝……」

サイトの量産をしているとき、
気づくとブツブツとそうつぶやいていることがあった。

順調さが生んだ悲劇

3ヶ月半ばを過ぎた頃から、数日に1つ売れるようになり、
1週間で5つ売れることもあった。

僕は売れるたび嬉しくて彼女を呼んでいた。

これが彼女の逆鱗に触れることになる。
僕は喜びを誰かに伝えたくて仕方がなかったのだ。
それが身近にいる彼女だったのだが……。

「ちょっとちょっと~」
「なに!うっとうしい!」

心臓が潰れかけた。
グッと言葉を飲み込もうとしたが我慢できなかった。

「しょうがないじゃん!誰にもいう人いないんだから!」

僕はあまりにも悲しい言葉を叫んでいた。

彼女の反応に傷ついたものの非は完全にこちらにある。
少し売れるようになったとはいえ、満足の行く結果にはほど遠かったこともあり、
一緒にでかけることも、遊びに行くこともなかった。

10万円を超えるまでの4ヶ月間は11月から2月の間。
クリスマスもあれば、年末、年明けとカップルにとっては楽しい季節でもある。

全くなにもせず……というわけではなかったが、
クリスマスにプリキュアのシャンメリーを飲んだぐらいだった。

申し訳ない気持ちはあるものの許してもらうしかなかった。

アフィリエイトは順調だったものの、
彼女との関係はピンと張った糸のように張り詰めていた。

【3ヶ月目まとめ】

  • 報酬 82292円
  • 数日に1個売れだす
  • 週5日連続で売れることを経験する

アフィリエイト開始【4ヶ月目】 

月10万円を超えたときの想い

僕は目を覚まし、枕元に置いてある携帯でアフィリエイト報酬を確認した。

(報酬額28000円)

夜眠り、朝起きたら28000円が稼げていた。
それまでは報酬が発生しても最高日給9000円。
アルバイトでも稼げるぐらいの金額だった。

しかし日給28000円となると、
稼ごうと思ってもなかなか稼げない金額になる。

時給800円のバイトなら35時間。8時間で稼ごうとするなら時給3500円。
それが寝ている間に発生していた事実に、アフィリエイトの醍醐味を感じずにはいられなかった。

はじめたばかりの頃、月5万円を稼ぐというのが果てしない世界にみえた。

報酬5000円のものを10個売って5万。10万なら20個。
2日に1個売れても超えるか超えないか。そんなことばかり考えていた。

しかし手を止めずコツコツと作業をして4ヶ月。気づけば10万円を超えていた。
嬉しいとか感動したという感情はなかった。

(ほんとうに超えるんだ)

ただそういった感覚だったのを覚えている。

笑顔の悪魔はそこにいた

3ヶ月は報酬が0でも頑張ろう。
半年後も0だったらやり方が間違っているから見なおそう。
なにがあっても最低1年は続けよう。

始める前にそう決めていた。
今にしてみれば、そう考えていたのがよかった。

1ヶ月以内に3万。半年以内に月50万。
そんな考えでいたなら理想と現実の差につぶされていたかもしれない。

アフィリエイトは結果がすぐには見えない。
だけどアフィリエイトは裏切らない。
裏切るのはいつも自分自身とは誰かの言葉だ。
まさにその通りではないだろうか。

10万円を超えてくれたことは、彼女も喜んでくれた。

「すごーい!普通にバイトしたぐらいだ!」

笑顔の悪魔がそこにいた。しかし、いっていることは間違いではない。
金額だけみればバイトと変わらないどころか少し悪いぐらいだ。

10万の価値は10万円。それ以下でも以上でもない。
まだまだ頑張る必要があると気を引き締め直すことができた。

ただ月10万というのは人によっては
生活がまったく違うものになる価値があるかもしれない。

不動産投資のことはわからないが、
月10万というのは表面利回り10%で1200万の物件ぐらいの価値があるそうだ。

4ヵ月後に1200万の物件は買えないが、
アフィリエイトならそれと同等の資産を作れる。
そう考えると夢のあるビジネスといっても大げさではないのだろう。

【4月目まとめ】

  • 報酬 128000円/月
  • 毎日のように売れだす

エピローグ

季節は6月。

夢の国ディズニーランドに僕はいた。
ミラコスタに宿泊し2日間にわたりランドとシーを楽しんでいた。

6月は彼女の誕生日だったのだ。

この頃にはピンと張った糸のように、
いまにも切れそうな関係ではなくなっていた。

いまどきの子には珍しくディズニーランドも
シーも行ったことがなかった彼女は、とても楽しそうにしていた。

しかし1回目に乗ったのがタワー・オブ・テラーだったせいで、
彼女のつけまつげは半分とれていた。

絶叫ものがダメとは聞いていたが、まさか泣くとは……。

「早いコーヒーカップぐらいだよ」

そうごまかして乗らせたのはいいが、
危うく全てが台無しになるところだった。

チュロスでご機嫌をとり、
ミッキーの耳のヘアバンドを買ってあげたりしてなんとか事なきを得た。

たいしたことをしたわけではなかったが、
彼女との思い出が1つ増えたことは素直に嬉しかった。
ようやく、お祝いらしいことができたことも良かった。

そして8月12日。僕の誕生日が来た。

彼女からのプレゼントは20kgのダンベルが2つ。
嘘のような本当の話。愛情の重さだと思うことにしよう。

あとがき

少しの結果をだせたのは、楽には稼げないと覚悟していたことの他に

「あの人に稼げて自分に稼げない理由がない」

自意識過剰とも取られかねませんが、そう考えていました。

アフィリエイトで稼ぐ人というのは、主婦、学生、
サラリーマン、ニート、バンドマン、リストラされた人そういった人達です。

月に数百万稼ぐ人でも同じです。

特別な能力をもった人でもなければ、
めぐまれた環境にあったわけでもありません。

石川遼くんがゴルフの英才教育を受けてきたように、
アフィリエイトの英才教育を受けてきた人なんていないのです。

そう考えたとき、自分には稼げないのか?そう問いかけてみました。
あなたも自分自身に問いかけてみてください。どうでしょう?

稼げない理由なんて無理やり作らなくては
思いつかないぐらいじゃないでしょうか?

稼いでいる人は夜になったらみんな身長が3メートルになるとかだったら、
この人にできて自分にはできないことがある。そう思うでしょう。

でも稼いでいる人は特別な人じゃなく、ただの人。
自分も頑張ればそうなれる。

もし他の人が稼げていて自分が稼げていないなら、
他の人が自分よりもただ頑張っただけ。

頑張るという言葉は抽象的なのですが、
そう考えてみても間違いないのではないかと思います。

人生を活かすも殺すも自分次第ということを忘れず、
これからも目標に向かって前進し続けたいと思っています。

【4ヶ月間のアフィリエイト作業まとめ】

  • 作ったサイト数:847サイト
  • 取得したドメイン数:88個
  • 扱った商品:情報商材のみ
  • レンタルサーバー:さくらインターネット/Xサーバー/ExpressWeb
  • 1日に作ると決めていたサイト数:10個。最低でも5個
  • 1日の作業時間:10時間前後
  • 作業を休んだ日数:0日

僕は能なしなので、これだけやってようやく10万を超えることができましたが、
同じ時間やれば普通の人はもっと早く多く稼げるのではないかと思います。

こんなにやらなきゃ10万も稼げないのかと考えず、
能なしでもこれだけやれば稼げるという風に考えて頂ければ幸いです。

お読み頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

アフィリエイト切っ掛けでWEB業界にどっぷり浸かり、10年以上WEB関連のお仕事で食べてる人。個人から法人成りし新規で始めたサービスがうけて誰しもが知るビックネーム企業数社と契約することに成功。勝ち確定や!と思われたやさきコロナ化に突入。フルマラソンで調子良く走ってたら空から隕石が降ってきたぐらいの衝撃を受ける。ビックネーム企業との契約が見事に全部打ち切り。「わいにBtoBは向いてなかったんや・・」と現在は猫3匹と自由気ままに生きる毎日。

コメント

コメントする